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UFO墜落

1897年テキサス州オーロラで、早朝、飛行体が風車に突っ込んだ。爆発して破片が数エーカーの地面に散乱。ひとりのパイロットのバラバラになった遺骸が集められ、この世界の住人ではないと考えられたが、どうにかキリスト教の埋葬に付された。この事件について1972年から1974年にかけ調査され、金属片はノーステキサス大学で分析され、75%は鉄だが、光沢があり、軽く、非磁性、非鉄の性質を持つという。

1908年6月30日ツングース大爆発

その時猛烈な衝撃波は地球を2週したはずである。恐らく地震計の針はぶっ飛んだに違いない。地球上の多くの場所で、2日間、夜になっても暗くならなかった。そしてこれが起こった場所と事実が判明したのは、それから20年後のことだった。目撃者によると、北の方に青い光が現れると、火の玉が南西に向かって進んできた。この火の玉は太陽よりまぶしく、あとに光の尾を残して行った。そして朝日が照っている空に、突然、火柱が1本スルスルと上空を目指して昇って行った。高さ20キロ、幅1.5キロ、見ているうちに、その火柱は、次第にキノコ型の雲に変わって行った。又、ツングースから約950キロ離れているツロイハンスイでも、この爆発音は聞こえた。その付近一帯には、大小の穴がアバタのように散らばっている。そして120キロ平方にわたる大地には草木が1本もなく、土は黒焦げになっている。さらに、その周囲3,500平方キロに生えていたと思われる立木は、すべて根を引き抜かれて、一面に重なって倒れていた。

シベリアのタイガの上での大爆発については、長らく流星か彗星が原因であると考えられていたが、現代の研究によって、その日観測された光輝く物体は、10メガトンの水爆に匹敵する力で爆発する前に速度と方向を変えていたということと、その爆発は核爆発的性格のものであることが明らかになった。言うまでもなく、彗星説は消えてなくなったのである。   

1948年ニューメキシコ州アズテックでの墜落

米国西南にある三つの米空軍基地のレーダーがスクリーン上にUFOを捉え墜落したと報告した。三角法により、だだちに墜落地点がアズテックの西方12マイルの荒地と割り出され、急きょ、ムロック基地から回収部隊が出動した。UFOは無傷で発見されたが、舷窓のひとつに穴があり、この穴から中へ入ることができた。内部から12体の搭乗者の死体が発見された。死体はいずれも1メートル位、身体の割りに頭が大きく目は吊り上り、身体にピッタリとした服を着ていた。検死のため、ライトパターソン基地ヘ運ばれたとの事。

1953年ライトパターソン空軍基地での目撃 

オハイオUFO調査連盟会長のチャールズウイルヘルム氏は、彼の学校時代の友人から興味深い話を聞き出した。その友人の父親は以前、ライトパターソン空軍基地の保安責任者であったが、死ぬまぎわに息子に驚くべき告白をしたのだ。1953年に基地で勤務中、その父親は2機のUFOを見た。うち1機は完全だったが、もう1機はこわれていた。さらにまた、到着したばかりのドライアイス詰めのヒューマノイドの死体4体も見た。死体の身長は1.2から1.5メートル、頭は身体の大きさに比べて不釣合いに大きく、つり上がった目をしていて指が異常に長かったが、その他は大体人間と似ていたという。               

1955年2月20日第34代アメリカ合衆国大統領アイゼンハワー、宇宙人と会見

1947年から1978年まで20件近くのUFO墜落事故が起こり、それらのうち、ほとんどの回収物とその乗組員は、最終的には、オハイオ州デイトンのライトパターソン基地ヘ運ばれたが、一時的に、事件の起こった現場近くの空軍基地ヘ保管されることがたびたびあったという。当時、エドワーズ基地の第27格納庫には、基地近くの砂漠に墜落したUFOの機体とその乗務員の死体が保管されている、という噂がひそかにささやかれていた。アイゼンハワー大統領は、密かに軍用ヘリコプターでエドワーズ空軍基地を訪れ、第27格納庫内で、宇宙人と会見したといわれている。宇宙人側は、大統領に様々な超常現象を目の当たりに起こして見せた。彼らは、なんら機械らしいものを使わず、自分の身体を浮かせたり、大きな物体を移動させたり、さらにテレパシーによる会話もしたそうだ。これらの想像を絶する現象をまざまざと見せつけられた大統領は、この時、”これは、現在の地球上の常識をはるかにに超えている。もし、このような事実を大衆に知らせたら、回復不可能なパニックにおちいる危険性がある。宇宙人とUFOの存在は、当分、超極秘扱いにすべきだ”と結論した。

マンテル大尉事件

1948年1月7日、ケンタキー州フォートノックス・アメリカ空軍のゴドマン基地で、南方の空に現れた金属製の巨大な飛行物体を追撃のための命令をうけたマンテル大尉が3機の追撃機を率いて飛び立ったが、まもなく空中に霧散してしまった。マンテル機の機骸は数キロに、わたって散らばった。これは快物体によって落されたものとしている。その日の米国のすべての夕刊は、ケンタッキー州ルーイビルからの特電として次のような記事をトップに掲載した。「F51の操縦士マンテル大尉、空飛ぶ円盤を追撃中に墜落」。           その事件以来20数年経った頃、記録された録音テープの一部の内容が明らかにされた。マンテルが司令塔と最後に交信した内容はここには書かないが、実はこの後、すぐに驚くべき無電が入っていたのが明らかになった。UFOとの至近距離300メートル位まで接近したらしい。その時、マンテル機は、空中で瞬間停止したのである。マンテルは無電で叫んだ。「大変だ、その中に人間(複数)がいる」と。この後の言葉は、雑音に、阻まれ何を言ってるのか不明との事。そして、その瞬間、恐るべき破壊に見舞われたらしい。       マンテルはあまりにもUFOに、近づき、人影を発見して、恐怖のあまり、12.7ミリの機銃の引き金をひいたかも知れない。彼が発砲した兆候はある。なぜなら、それは、マンテル事件発生までは、「UFOを見たら撃ち落せ」と言う命令が、空軍当局から、全パイロットに伝達されていたからだ。

パプアニューギニア

UFOに乗った”人間”が38人の目撃者の前で手を振って答えたという劇的な事件が発生した。1959年6月27日、ニューギニア島パプア地区にボイアナイという村がある。驚くべき事件はこの村落でおきた。同村の伝道本部長の神父ウイリアム・ブース・ジル神父は、その時の模様.を親友にあてた手紙の中で次のように書いている。「昨夜、ボイアナイではUFOが4時間も飛び回っていました。何者かに操縦されている事は間違いなさそうです。全く息を飲むほどの見ものでした。」これに署名入りのスケッチが何枚か添えてあり、38人の目撃者のうち25人が署名している。UFOは近くでは薄いオレンジ色に光って見え、表面は金属のようで、一種の脚があり、時々青い光線を45度の角度で空に照射していた。上甲板では乗員が4人、出たり入ったりを繰り返していた。UFOも乗員も後光のような輝きに取り巻かれていた。そして問題の翌27日の模様を次のように続けている。「UFOは前夜より早めにやってきた。上部に人影が見えた。4人だ。確かに人間だった。昨夜のUFOと同じものだなと私は思った。付近には小型UFOも2機静止していた。大型UFOの乗員の一人は手すりにもたれてこちらを見下ろしていた。私が手をあげて振ると、驚いた事にその人影も同じ事をした。教師のアナニアスと私が手を振ると、4人とも手を振ってこれに答えた。」何分間か交歓を繰り返すうち、彼らは興味を失ったらしく、姿を消してしまったという。

関東大震災

大正12年9月1日、関東地方を襲った史上まれにみる巨大地震発生後、焦熱地獄と化した午後2時過ぎの横浜市上空に不思議な飛行物体が音も無く、出現し、逃げ惑う被災者数名を安全地帯ヘ誘導した。しかも誘導中は、1時間もの間、ゆっくり飛び、全員の安全を確認した時、中から2人の乗員が顔を出し、手で合図をした。歩くのを止めて、「ありがとう」と言った時、窓から顔を出したとの事。又、1人の顔は白人のごとく鼻はワシ鼻、下を見つめていた。もう1人は右手で金属棒を握り締め、左手には白い手袋で指を広げ、手招きしてくれた。又この左手で、飛行体の中に引き上げられるかも知れない、と思って、恐ろしく感じたという。

常盤の国

享和3年(1803年)3月24日、常盤の国(現在の茨城県)原舎浜に異船が漂着した。その船の形は釜のようで、中は、うつろであった。なかばに釜の刃のようなものがあり、それより上は黒く塗ってあり、四方に窓がある。障子はことごとくチャン(樹脂)をもって固めてあった。いづれも南蛮鉄の最上の物で出来ていた。船の高さは一丈二尺(約4メートル)横は一丈八尺(約6メートル)あった。この中に婦人が1人乗っていたが、年のころ、およそ20歳ばかりに見受けられ、身の丈は五尺、色の白きこと雪のごとく、黒髪あざやかに長く後ろにたれ、その美顔なる事、たとえようが無かった。身に付けている物は、異様な織物で、何織りと言うのかわからない。言葉は一向に通じない。小さな箱を持っていて、どういうわけか、人を寄せ付けなかった。この記録は天保年間に刊行された随筆集(梅の塵)に載っている。

宇都宮

宇都宮の公務員(1958年の秋)が、山でタンク状の大きな金属製物体が草むらに横たわっているのを発見。不思議に思った同士が近寄ると、突然外人タイプの背の高い男が現れて、何か訳のわからる言葉で喋りだしたが、通じないとわかると、地面を指差し、これ以上、近寄るなと警告。その男は他の男と共に、急に開いた扉状の所から、頭をかがめて中に入った。そして一瞬の間に天空に舞い上がった。

甲府UFO着陸

甲府市UFO着陸事件は1975年2月23日、午後6時半から7時ごろにかけて、山梨県甲府市上町付近で小学生2人が遊んでいる所ヘ発光体が飛んできた。直径5メートル高さ2.5メートルほどの円盤で、着陸すると横腹にあるドアーが開き、中から2人の宇宙人が地上に降り立った。宇宙人は背丈1メートル、キバが3本生えていて、目と口が無く銀色の宇宙服を着て肩に銃を吊っていた。驚く事に小学生の1人、山畠君は左肩を軽くたたかれさえした。この目撃には、母親も空を飛んでいるところを確認している。

ペリー提督

1853年7月7日、ペリ-提督率いるアメリカ合衆国艦隊が、相模湾に投錨した時、デュア中佐によって、天空に”光るもの”を発見。真夜中から朝4時まで、あたり一面を照らしたそうな。船のマストも帆も船体も、その閃光をくっきりと反射して、まるで各船から同時に青い光が燃え上がるように見える。それは南西方から、水平線上約15度程度にあり、北方ヘ向かってずっと1直線に進路をとり、はるかかなたの海の方で次第に薄くなって見えなくなった。その形は、赤い楔形の尾を持った、大きな青い球状をなし、その尾はたやすく観察されたが、灼熱した微粒子の形をなし、爆発する時に現れる大砲の閃光に似ていた。(ペリ-提督遠征記の第7章)

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