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南海の金髪白色人種

エンサイクロペディア・アメリカーナ(三田図書館にはある)によれば、レムリアはインド洋から太平洋の一部にわたって存在した先史時代の大陸ということになっている。レムリアの名のそもそもの起こりは、イギリスの動物学者フィリップ・ラッツリ・スクレーターが19世紀の半ば頃、マダガスカルにいる「レムウ」(キツネ猿)がモザンビーク海峡ひとつ隔てたアフリカ大陸には絶無のこと。反対に、インド洋のスリランカや、東南アジアのスマトラに同類が生息していること、そしてその化石の一部は約五千年前の地層の中から発見されたことなどから、マダガスカルはアフリカの一部というよりは、東南アジアにまで延びていた古代大陸の西の端の名残りではないかと投げかけた。ところが、これにはたちまち同調者が現れた。一人は、ドイツの生物学者、ヘッケルで、もう一人は同じドイツの神智学者ブラバッキー女史である。このブラバッキーの描いたレムリア人の絵が真に奇想天外で実に面白いが、今いくら探しても見つからない。写真を載せることができないのが残念である。レムリア人は爬虫類から進化した初期の原人で、確か、恐竜を犬のように、傍らに紐でつないでいる絵である。

二十世紀はじめに、シュタイナーという哲学者が、特異の体系の学問を創造した。「アンスロポソフィ」という難しい名が付いている。これは従来の哲学にコスモロジーを結びつけたものである。人類の先祖は、現在の生物学で説くような、この地上で生まれたものでなく、地球上の生物とは別個の発生源をもつものであると説いた。このシュタイナーの説は一般には受け入れられないまま1925年に世を去った。代わって世に受け入れられたのは、およそ哲学的考察からは離れた即物的の傾向のもので、古代の伝説、伝承、記録などを根拠として発想を助けている説である。

「ルイス・スペンス」の”レムリア大陸”によると、太平洋の島々には、ヨーロッパ人との混血とは全然違う白色人種がいたことを記載している。これはハワイ、ニューヘブリディーズ、ニュージーランドなどで語り伝えられているもので、現在ほとんど残っていないのは、ポリネシア人の侵入とともに、いずれも大量殺害が行われたものというのが定説となっている。広い島になると、生き残るものが必ず出てくる。これら少数の生存者が、ヨーロッパの研究家の目に留ったのである。その結果、「外観こそ白色人種そっくりであるが、彼らの血管を流れている血はヨーロッパ人のそれとは全然違う。という医学的の説が確立したのである。これまで白色人種といったら、もっぱらヨーロッパ人だけと決め込んでいたのが、遠い太平洋上の島々にも、奇妙な白色人種がいたことを知って彼らは今更のように驚異の目をみはった。

ハワイの伝説によると、白色人は神々の.一人として人々から尊敬されていた。その白色人は「ロロ」といった。ロロはある時、島を出て行く際、いつか必ずもう一度この島ヘ帰ってくると、言い残して島を去った。この伝説は、ハワイ人の頭には深く刻みつけられていた。18世紀の後半に、キャプテン・クックがハワイを訪れると、土人たちは、この明るい頭髪の、皮膚の白いイギリス人を、てっきりロロの帰還と思い込んでしまった。クック船長は人間扱いされず、あくまで神として取り扱った。このクックの帰還説は、中米のアステカに伝わるケツアルコアトルの再来説に似ている。ケツアルコアトルとは、土語の「翅の生えている蛇」という意味である。蛇といっても、これは邪悪の象徴ではなく、英知のそれであった。これが、ハワイのロロと同じく、アステカを去る際、「いつかはもう一度必ず戻ってくる」と人々に固く約束した。このケツアルコアトルは、ヒゲが生えていて、皮膚は白かった。そして16世紀に、この白色有髯の人物は、多くの部下と、多くの軍艦を引き連れて来た。人々は、ケツアルコアトルの再来と、喜んだが、それは束の間のはかないものだった。彼らがケツアルコアトルと思い込んだ人物は、彼らに英知を授けてくれたその昔の偉人ではなく、スペインの征服者であるエルナン・コルテスその人であった。こうしてアステカが、コルテスに滅ぼされたことは、スペインのメキシコ征服史に明らかである。

同じような伝説はニユージーランドにもある。ここのウレウエラの山間では、ツレフという皮膚が白く、頭髪の明るい色の原住民が、移住して来たマウリ族と結婚した結果、たくさんの混血が、今なおみられるという。これら南海の白色人種について、民族学者のS.スミスの著書「ハワイキ」に、白色人種たちは何れも航海術に優秀な腕を持っており、その皮膚は、実に白い。海洋民族は多くの場合、赤銅色をしているものが多いが、その白さは、いわゆる白子のそれではない。もっともマウリ族と結婚して混血になった結果、中にはそれほど白くないものもいる。しかし、同時に白子と間違えるような純白のものもいる。マウリの伝説には、海には「パカハケハ」という海神がいると言われている。十八世紀頃の航海者の手記には、「ポリネシア地方には、マウリ族のなかに、パケハと呼ばれている白色人がいる」ということが、書かれている。またミクロネシアのギルバート諸島には、マタンと呼ばれているブロンドの人々についての伝説がある。ソロモン諸島の白色人は、キャプテン・クックが上陸したとき、その余りに白いのに驚いた。1840年代に、アンガスという画家は、ニュージーランドヘ写生旅行に行ったとき、北島で、多くの皮膚の白い人間に会ったと書いている。彼らは同時に、明るい頭髪をもっていた。面白いことに、島の内部に行けば行くほど、その明るさが、ついにはブロンドに変わる。当時、ヨーロッパ人との混血は考えられない。この南太平洋の白色人種は、西方に行くにしたがって、次第に白さが薄らいで行く。そして東方に向かうにしたがって、次第に赤味を加え、イースター島に近づくにつれて赤髪のものすらみかけるようになる。イースター島の古い時代の巨像には、赤色の頭髪を表現する大きな石塊が頭部にのっていたことから、皮膚は白色、頭髪は赤というのが、本来の姿だったかもしれない。(黒沼健.の超古代大陸より)

ジェームズ・チャーチワードのいうムー大陸はレムリア大陸が母体になっており、その名残の大陸だ。人類の母なる国、ムー大陸の滅亡ほど奇怪なものはない。太平洋上の大陸に花開いた白人種による大文明は、わずか一夜にして消え去ってしまったのである。現在、世界各地からムー大陸に関する記録類が次々に発見され、それらの比較研究が進むにつれて、その実在性は動かしがたいものとなった。ジェームズ・チャーチワードがムー大陸の存在を信じる主な理由は次のとおりだ。

1.1868年、筆者はインドで古い僧院の院長である高僧に出会い、僧院に所蔵されていた粘土板からムー大陸の存在を知り、12年間その地に滞在し解読した。

2.ヒンズー教の聖典「ラマヤーナ」に”聖なる兄弟が伝えた経典”は「東方の生地から旧ビルマヘ来たれるもの」とある。東方とは太平洋をさしている。現在、大英博物館所蔵の「トロアノ古写本」は、ユカタン半島の古代マヤ族によって記された古記録だが、この中にもムー大陸についての記述があり、インド、旧ビルマ、エジプトにある古記録と同様のシンボルをムーのために用いている。その他、同じくマヤの「コルテシアヌス古写本」、チベットの「ラサ記録」エジプト、ギリシャ、中米、メキシコなどの数多い古記録、アメリカ西部地区の岩穴などにムー大陸関係のものがみられる。

3.現存する遺跡や、そこにみられるシンボルなどからムー大陸の位置を推定することができる。イースター、トンガ、ポナペ、マリアナなど南太平洋の島々には、ムー大陸の昔をしのばせる様々な遺跡が今も残されている。またユカタン半島のウシュマルの寺院の廃墟には「西方の国、われらその国より来たれる者」と刻まれた碑文が読まれるし、メキシコ・シティの南西にあるピラミッドは、その碑文によって、「西なる国」の崩壊を記念して建てられたものであることがわかる。

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コメント

マイキーSAN
いつも、ミステリーを待ち望んでいます。今回も、読み応えありました。
真実か否かじゃなくて、ロマンですよね。
僕らが、見ている世の中は、所詮、『人』が作り上げたものだけど、だから、隠される真実や見えないものも、必ずあるはずです。
これからも、そんな、非日常に思いをはせた文章を、一緒に、楽しませて頂きたいと、切に願います。

投稿: 邦SAN | 2011年3月15日 (火) 12時05分

コメントありがとうございました。地震、原発事故などで気が滅入る昨今ですが、ミステリーの意味、御教授いただき、喜ばしく思います。今後もよろしくお願いします。

投稿: マイキー | 2011年3月15日 (火) 18時20分

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